気まぐれ日記 2018年12月

2018年11月はここ

12月1日(土)「勉強になった彰義隊シンポ・・・の風さん」 
 目覚ましの設定時刻よりも早く目が覚めた。昨日から頭痛がするので、もしかして風邪? という恐怖がある。まだ仕事は終わっていないのに……。
 シャワーを浴びて、スッキリしてから朝食を摂りに1階のロビーへ行った。宿泊客に無料開放しているので、大した朝食ではなかろうと思っていたがあにはからんや、種類は豊富だった。昨日は和食だったので、今日は洋食で統一した。スープが美味かったな。あとゆで卵。
 部屋に戻って、歯を磨き、バファリンを飲んだ。首も痛くなりそうな雰囲気がある。その時は、ロキソニン(のジェネリック)だ。
 予定より早く郡山駅へ行き、新幹線の指定席券を買おうとしたら、ま、ま、満席。なんで? とりあえず自由席券を購入してホームへ行ってみると、人が溢れている。すぐ来たやまびこは、まるで通勤電車みたいだった。なんで? その次のやまびこには乗れたし、うまい具合に座れたが、座れなかった人は当然たくさんいた。首は痛くならなかったが、疲労が出てうつらうつらしてしまった。頭痛は治っていた。
 大宮を過ぎたあたりで目が覚めて、今日の最初の予定を変更することにした。午後から彰義隊のシンポジウムを聴講する。それならまだ見ていなかった銃弾の跡も生々しい黒門を見てやれ、と決意し、上野で下車した。寛永寺に残っていると思ったからだ。しかし、これは失敗だった。黒門は南千住の円通寺に移転されていた。いったん上野公園に入っていたので、大いに時間ロスをしてしまった。地下鉄日比谷線で南千住まで行き、1km近く歩いて、やっと円通寺に着いた。黒門だけでなく、歴史上の人物の墓や記念碑がたくさんあって、一度に見られてラッキーだった。しかし、もう昼食を摂る時間は残っていなかった。コンビニでファイト〜一発ドリンクを買って飲み、それで頑張ることにした。首も痛くなっていなかったので、ロキソニンは不要だ。
 福島県は寒いくらいだったのに、東京は暑かった。荷物も多かったから。午後は東大の安田講堂へ行くのだが、乗り換え1回で行くことにした。銀座まで行って、丸ノ内線に乗り換えるのだ。かなりの大回りだが、仕方ない。
 本郷三丁目駅から安田講堂も、ちょっと遠かったな。イチョウの木が見事な黄色になっていて、一般市民がたくさん訪れていた。なんとか開始時刻には間に合った。主催者の大蔵さんに挨拶してから会場に入った。
 人間国宝の長唄から重々しく始まり、6人のパネラーによるショートスピーチを聴き、それからパネルディスカッション、最後に居合抜きの演舞まで見ることができ、充実した3時間半だった。パネラーの一人、星亮一先生に「ご無沙汰しています」と挨拶して家路に着いた。既に外は真っ暗。
 地下鉄で東京駅まで行き、晩ご飯を買って新幹線に乗り込んだ。いつものこだまグリーン車、私の作業スペース。
 ところが、今回は、運悪くお気に入りの席が空いていなくて、喫煙車両で予約した。乗り込んでみると、客はいないのに、タバコ臭い。我が肉体のアレルギー反応との競争になりそうだ。
 すぐに晩ご飯のおにぎり2個を食べ、メールチェック後、気まぐれ日記の続きを書き始めた。
 タバコ臭さはずっと続いたが、何とかアレルギー反応は出ずに名古屋に着いた。
 帰宅は前回より1時間ほど早い10時半だった。超高速片付けの後、ワイフと超遅いホットタイムにし、よりどりみどりのお菓子をつまんでもらった。留守中の郵便物もたまっていた。ま、とにかく、これで11月のロード3が終了した。ホッとした。

12月2日(日)「連載短編と資料作成が終了・・・の風さん」
 旅行中の早起きの癖が残っていて、寝坊できない(笑)。
 朝食後、サイン本を作成した。これは、『ひらけ蘭学のとびら』が千葉県の課題図書になり、拙著で感想文を書いた子が最優秀賞になったので、お祝いのサイン本を贈呈するのである。中一の子とは思えない立派な文章で、とても嬉しかった。サイン後、梱包し、クロネコで出版社まで送るため、コンビニへ行ってきた。
 SLA(全国学校図書館協議会)から寄稿の依頼が来ていたので、FAXとメールで受諾の回答をした。こういった執筆依頼は大歓迎だが、写真も送れというのが、いつも抵抗がある。何せ、私の写真はほとんど存在しない。勢い、古い写真で間に合わせてしまう(笑)。
 今月は一年に一度の近畿和算ゼミに出席する。自己PR講演をやらせてもらう。その講演タイトルをまだ決めていなかったので、旅行中も考えていた変なタイトルで講演することにし(昨年も変だったが)、事務局の田村先生へメールした。
 急ぎの用事がすべて終わったので、ルーチン雑務をこなした。長女が結婚するので、年末までに長女の部屋から自分の荷物を出さねばならない。いよいよラストスパートだ。
 昼食は大好きなインスタントラーメン。そのパワーで、連載短編の仕上げに取り掛かった。ロード3に出発する前に作ったタイトルを変更し、原稿をさっと見直した。次は、挿入する図である。これは毎回決めてあり、一番大変なのが、主人公が歩いたルートの地図を作成することだ。江戸時代の街道地図と言っても良い。山の中を通ったりするので、確認しながら執筆してきたのだが、本当の地図を作るのはやはり大変だ。これが、何と、晩ご飯までにできなかった。
 結局、晩ご飯後も作業を続け、さらに挿絵のための参考資料も作成したので、結局、すべてのデータをメール送信し、入浴もして、就寝は午前2時になってしまった。
 今日は、もう一つやりたいことがあったのだが、明日へ順延だ。やれやれ。

12月3日(月)「講演のリカバリー・・・の風さん」
 目が覚めて、また日常に戻って来た感じがする。しかし、今日は月曜日、現役時代とは違う。
 ルーチンを急いでこなしてから、懸案事項に取り組んだ。先週の講演の自分への宿題みたいなものだ。勝手の違う原発作業に対して、モノづくりの立場からの話は、あまりにもかけ離れていた気がした。そのギャップをその日その場でカバーできなかったのが、どうにも悔しかった。以後、毎日、頭の中であれこれと考えていた。あと何を補足すれば、自分として許せるか、である。そのアイデアが昨日ひらめいたのだが、短編の資料作成が大変でできなかった。
 今日は先ずそれに取り組んだのである。
 10枚くらいの資料を作成し、かつての大学の研究室の後輩へメールで送信した。私としてできる精一杯のリカバリーである。
 実は、このメール送信を完了できたのは午後4時だった。このことに対する返信は後であり、誠意は伝わったようだった。とりあえず満足。
 その後、ワイフとホットタイムをしながら、あれこれと相談。今年ももう師走なのに、やることはたくさん残っている。
 ようやく長編の執筆再開だが、準備をしているうちに疲れてしまった。ここで寝てしまうとアウトなので、雑務も少ししておいた。
 就寝前の読書も今夜から復活した。

12月4日(火)「中古プリンター・・・の風さん」
 いつも通りに起床。外は雨。天気予報通りで、それでも気温はかなり上がるらしい。週末へ向けてどんどん冷え込むという極端な予報である。
 日常に戻ったので、毎日何かこなしていかないといけない。朝食後、風呂掃除をした。週末におこなうと決めていたが、ロード3から帰宅したばかりだったので、今朝にずれ込んだ。分解もし、壁もすべて洗った。乾いたら、2ヶ月に1回のカビ防止燻蒸もおこなうつもり。
 ルーチンをこなした。長女の部屋の片付けは待ったなしだ。今日も気合を入れて一つ始末した。
 年内は長編執筆がメインとなる。他の用事も多いが、頭脳を創造モードに切り替える工夫も必要だ。基本は小説を読むこと。今日は、執筆前に短編を1本読んだ。これは大いに刺激を受けた。
 晩ご飯の後は、疲労も出てきたので、他の用事を進めることにした。2週間後のセミナー資料のアップデート、そして近畿和算ゼミでの講演スライドのイントロ作成をした。こういった作業は、創造的な仕事に比べれば、はるかに楽だ。そして、少しでもやっておけば、精神的な落ち着きが得られる。気になっていると、本来の執筆に影響が出るのだ。それだけ、小説家の精神構造は脆弱なのかもしれない。
 そんな時、別の問題が発生した。もうひと月くらい前から、プリンターの調子がおかしい。印刷を実行すると、その直後エラーになり、電源を切る指示が出る。面倒なことだが、再起動すると必ず捨て打ちが実施されるので、インクカートリッジが無駄に消費される。これが痛い。プリンターはワイフもときどき使っている。今夜は、ワイフの使用中に発生した。
 今月は年賀状印刷もあるので、もう我慢がならなかった。ネットで調べると、我が家のプリンターの型式はもう古く、新品はプレミアム販売になっていた。不調になるまでは実に良く働いてくれたし、買い置きのインクカートリッジもたくさんあるので、全く同じ機種の中古品を急きょ発注した。

12月5日(水)「クリニックで消耗・・・の風さん」
 もう少し寝坊したかったが、起床した。朝食後、2か月に1度のクリニックへ。
 珍しく駐車場に空きスペースがたくさんあり、ラッキーと思ったが、中はいっぱいだった。滞在中はツムツムでコインを稼ぐしかないか(笑)……という余裕はやがて消えた。待ち時間が長い。やっと診察になった。今回は、この2か月間の良い結果を持って来ているので自信満々・楽勝気分だったのに、粉砕された。良い結果というのは、10月の上部消化管内視鏡検査と11月の人間ドックである。この期間の血圧も問題ない。ところが主治医は、人間ドックの血液検査の中のわずか1項目の異常に着目した。そこで、いつもの険悪な雰囲気。薬を処方しようかという提案に「薬は飲みたくありません!」ときっぱり。もう1回血液検査しましょうか、と言われたらお願いします、と応えたろう。安易な薬の服用開始が永続的な既成事実になりかかるのを私は断固として拒否する。
 会計まで時間がかかり、結局3時間以上費やして帰宅。
 インスタントラーメンを食べて2時間ほど昼寝した。
 すぐホットタイムになり、ブラックコーヒーを飲んで元気が出てきた。
 それからやっとルーチン雑務をこなし、日が暮れてから執筆再開である。今日は、原稿の史実との違いを一つ発見した。取材の成果である。修正はけっこう大変なので(ストーリーが変わるので)、あとでやることにした。
 ツムツムで新イベントが始まったが、エラーが起きるので参加できない。

12月6日(木)「日めくりニャンコカレンダー・・・の風さん」
 今朝は思いっきり年金生活を堪能……じゃなかった寝坊(笑)。
 午前中の残り時間は少ないが、やるべきことは少しずつやっていかねばならない。
 ダイニングのテーブルに購入した日めくりニャンコカレンダーを置いてある。毎日猫の写真が名前と一緒に楽しめる。それだけでなく、最近は新たな楽しみ方を作り出した。朝、猫の名前を記憶して、夜まで覚えていられるか確認するのである。
 私は若いころから記憶が苦手でしかも嫌いだったから、恐らく頭脳の中にメモリーはほとんど存在していないのだろう。そう思って65年の人生を過ごして来た。年取ってくると、記憶するのが苦手だろうが嫌いだろうが、容赦なく忘れる。しかも近いところから記憶が薄れて行くという、悲惨な状態を実感するようになる。だから、これはボケ老人にはつらいゲームだ。
 ところが、これを毎日続けているうちに、意外と記憶できることに気が付いた。晩ご飯の時に、私がワイフに日めくりニャンコカレンダーの猫の名前を言ってみせると、ワイフも驚くが、私も喜びで感動する(おおげさな)。
 それが昨日は6匹の猫が一気に登場で名前も当然6匹分あった。それを昨夜試すことができなかったので、今朝、仕事でログへ向かうワイフに、言ってみせた。スラスラ言ったので、ワイフはぶったまげた。私も喜びと感動で全身が震えた。もしかすると、やればできるのかも。これからも毎日続けて行く。
 午前中に、注文してあった中古プリンターが届いた。午後、開梱し、使えるようにする作業を始めた。現有機と全く同じ型式なので、きっと短時間で終了すると思ったが、そんなに甘くなかった。
 先ず、中古機なので、インクカートリッジが装着したままである。搬送途中で90度傾けていたらしく、片側にインクが漏れていた。べっとりと。幸いこれは捨て打ちのインク溜から漏れたインクらしく、印刷の要であるノズル近傍や、紙送りの命であるロール周辺は汚れていなかった。私の手が真っ黒になったのは困ったが。
 設置してお試し印刷はうまくできた。次は、ネットワーク環境の構築である。中古機を無線LANに認識させた。続いて、執筆マシンで中古機を新しいデバイスとして追加し、印刷実行できた。これで楽勝だと思ったら、落とし穴があった。スキャナー機能である。
 スキャナーとしての使い方は2通り活用している。スキャナーで読み込んだデータをPDFに変換して執筆マシンへ送ること、もう一つは、執筆マシンにインストールしてある名刺ソフトからスキャナーを操作して、読み込んだ名刺データを執筆マシンに保存することだ。このどちらもできないのである。中古機からは執筆マシンが検索できないし、執筆マシンからは中古機が検索できないのである。
 印刷が(無線LANを通じて)ちゃんとできる、というのが、この解決を遅らせた。
 結局、時間をおいて、頭を冷やしてから、原因が分かった。執筆マシンで記憶しているスキャナーのMacアドレスが、中古機のMacアドレスと違うのである。これはプリンタードライバーを再インストールしかないと思い、やってみたら、うまく行った。
 日めくりニャンコカレンダーの猫の名前の記憶と同様に、こういった問題を何とかクリアすると、まだまだやれるのではないか、と妙に安心する。
 来年の日めくりニャンコカレンダーは既に購入してあったが、別に応募もしていた。その当選が今夜判明し、明日、もう一つ日めくりニャンコカレンダーが届くことになった。これは長女への結婚プレゼントだな。めでたしめでたし。

12月7日(金)「買い物に出かけただけ?・・・の風さん」
 昨日は充実した1日だったので、今日も頑張るぞ、と起床。
 ルーチン雑務を終えた段階で、もう昼過ぎだったのは、ちょっと遅かったが、アクアで外出。GSで満タン給油と灯油の購入をした後、スーパーで買い物。毎週金曜日は会員が5%割引。こういうのに弱い(笑)。
 帰宅し、それほど空腹ではなかったけれど、インスタントラーメンを食べた。
 その直後から元気がなくなってきた。もうパワー切れか? 先週の今ごろは会津若松市内を走り回っていたのに。
 結局、書斎でウトウトして過ごした。体力回復を待ったのだが、だめ。ホットタイムの時間になったので、階下へ降りたがワイフが帰って来ない。いつものパターンだ。ツムツムのイベントをこなしていく。やさしいのでアイテム狙いである。
 すっかり真っ暗になったころワイフが帰宅してホットタイム。やはり、レギュラーコーヒーを飲むと元気が出てくる。カフェイン中毒かもしれない。元気が出たとは言っても、創造的なことをするにはまだ気力体力両方とも不足しているので、もっぱら読書。
 読書をしていて、また古本が欲しくなった。ネット検索してみると何冊か売りに出ている。一番安価なショップへ購入申し込みをした。今度こそ、購入資料の最後だろう。
 結局、今日は、執筆はできず。重要な雑務もできず。な〜んだ、何もできなかったのか。諸悪の根源は老化による体力不足だ。やれやれ。

12月8日(土)「遅起き早寝?・・・の風さん」
 目が覚めて、ベッドサイドの時計を見たら……10:46だった! 子供の頃、日曜日に寝坊をしていると、母から「目が腐るよ」と言って叩き起こされた(笑)。今なら、全身が朽ちていくだろう。いや、朽ちかけてはいるが。
 ブランチどころではない。朝食はそのまま昼食になった。
 ルーチン雑務の後、裏の物置へ出動し、先日空にした茶箱のブリキはがしをした。これで、クリーンセンターへ持ち込める。書斎のCDプレイヤー(消滅寸前に購入した三洋電機のSANYOブランドだったのに)も壊れたので、プリンターなどと一緒に、来週持ち込む予定だ。続けて、屋外タンクへ灯油を給油した。寒くなるとこの作業はつらいのだが、まだまだ大丈夫。
 その後、執筆の続きをやった。まだ1か月前に書いた部分をおさらいしている。断続的に仕事をするとこういうことになる。
 秋田の友人から地元のりんごが届いた。秋田に住んでいるときは、くだものにはあまり恵まれていなかった気がする。貧乏ということではなく、そもそもくだものの種類が少なかった。そういう中でりんごはよく食べた。青森県産がほとんどだった。かたくてすっぱいりんごが私は好きだ。寒い土地でできたりんごには、そういった土地の味がりんごに含まれている気がする。今日もらったりんごも懐かしい味がした。
 晩ご飯の後は、1週間後の講演の準備でスライドを1枚作成した。ちょっと遅いな。
 超寝坊で始まった1日だが、就寝はやや早かった。

12月9日(日)「少しずつ少しずつ・・・の風さん」
 さすがに昨日ほどの寝坊ではなく起床。
 昨夜、夜に時間変更した宅配が、今朝届いた。幸いワイフが受け取ってくれた。ちゃんと確認の返信もあったのだが、
 ルーチン雑務を終え、1週間くらい先のセミナーのテキストを見直して事務局へ送付し、廃却するプリンターを物置に仮置きし、それから1時間かけて床屋へ。入社以来39年間も利用している理容店なので、おいそれと変更できない(笑)。帰る時、iPhoneが上着のポケットにないのに気付き、床屋の中で落としたのかと探したが、結局、キャメロンの運転席の横のすきまに落ちていた。以前にもあった現象だ。対策として鈴をつけてあるが、立っていて落としたわけではないので、鈴は鳴らない。とりあえずラッキーと。帰りに年金の書類を郵便局で投函した。
 帰宅したら、昼食抜きだったので空腹を感じ、食卓のシュトーレンなどを摘まんでいると、いつものようにちび助がやって来た。私が食べている物を鼻先に持って行くと、食べられないことを認識し、そのまま自分の餌を食べに行く。百合の毒から回復してから、いちおう食欲もあるので、本当に良かったと思う。
 短編小説を1本読み終えた後、郵便局がエクスプレスパックを配達に来た。北海道の古書店に注文した古本がもう届いたのだ。しっかり梱包してあり、ニコニコしながら中を見たらビックリ。事前情報にもなかった書き込みがあった。しかも赤いボールペンで。これには憤慨したが、本の中に、私の知らない新情報が入っていたので、購入した価値はあった。長編小説に反映できる。
 SLAから依頼の子どもにおくるメッセージ原稿を少し書いてみた。とりあえず方向だけは決まったかな、と。プロフィールもほぼできた。
 就寝前は、近畿和算ゼミの講演スライド作成の続きをやっただけで終わってしまった。少しずつでも仕事をしていくというやり方は、故大野先生の身をもっての教えで、本当に役に立つというか、助かっている。 

12月10日(月)「街道ルート解明・・・の風さん」
 起床した時はもうワイフは出かけていた。今日もちび助と留守番だ。
 ルーチン雑務をしながら月一ぐらいの hairdye を実施。どちらも終わるころ、階下へ降りて週一の風呂掃除。だいたい終わるころ、 hairdye を洗い流す。こういった雑務は効率的にこなせるが、創造的なことはそうは行かないのが面白いところだ。
 昼食もパンにした。ツムツムのイベントは途中で断念したので、またコイン稼ぎに集中しなければならない(笑)。お袋の遺品整理に通うころ始めたLINEゲームは、ストレス発散には役立つが、老骨にはスピードの点で逆ストレスになる。しかし、副産物で老眼が治ってしまったのはラッキーだった。だからと言っては嘘になるが、やめられない(笑)。
 午後から執筆の続きに取り掛かった……が、突然調べ物が発生した。先日の短編と同様に、昔の街道のルートがはっきりしないのだ。ネットで調べても、明確なルート図は見つからなかった。こうなると、また研究者の血が騒ぎだす。それは大げさか。完璧主義者か技術者か。やはりこれも趣味か性格の問題だろう。この作業が延々と続いた。
 すっかり暗くなった頃、ワイフが帰宅した。今日はちび助を2週間ぶりに病院へ連れて行く日だった。
 元気になったちび助は逃げ回る。それを捕まえてケージに入れ、アクアで……。
 往復2時間で帰宅することができた。
 遅い夕食後も街道ルート調査。とうとう全ルートを解明した。これだけのことをやっても、原稿の中の数行に反映されるだけだ。しかし、著者の精神においては、リアリティというか、当時の様子が明らかになって、より執筆に力が入るのである。 

12月11日(火)「脇舞台の地図解明・・・の風さん」
 今日の天気は下り坂の予報なので、明日へ向けて準備をするだけだ。ルーチン雑務の後、雑多な廃棄物とともに、段ボール類と雑誌類を捨てる準備をした。こういった作業は体が動かないと何とも億劫なものだ。幸い、毎日ラジオ体操もどきことをしているせいか、体は動く。ところが、そうなるとついついやり過ぎてしまうというか、……疲れた(笑)。
 インスタントラーメンの昼食後、執筆の続きに取り組んだが、疲労感があり、昨日の続きを黙々とやることにした。今度は、主舞台ではない、脇舞台となる場所の地図の把握である。これまでぼんやりとイメージを持っていただけだ。先月、そこも取材できたので、いくらかイメージができていた。それを幕末の地図として明瞭にする作業をした。楽しい作業だが、原稿は進まない。
 夕方、ワイフが近所の眼科に行きたいというので、連れて行くことにした。散瞳すると運転が危なくなる心配があった。
 その眼科は、かつて子供を連れて行ったことがあるという。美しい女医さんとのこと。外ははたして雨。
 三河湾寄りの海岸近くの分かりにくい場所にその眼科はあった。診察の結果、年齢相応の症状です、で一件落着。
 そのまま、近所の中華料理屋へ行って、盛大に食べた(笑)。安いのでついついたくさん注文してしまう。
 帰宅し、コーヒーを飲みながら食後の休憩をとり、その後、執筆……する元気は既になく、週末の講演スライドの作成の続きをやった。少しずつやるといういつもの方法だ。 

12月12日(水)「クリーンセンター・・・の風さん」
 目覚めたら快晴だった(寝坊したこともばれる表現)。風が強かったが、空気の入れ替えのため、あちこち窓を開けた。
 昨日準備した廃却品をアクアに詰め込んだ。車室の後部(トランクと倒したシートの上)がいっぱいになり、作業をする価値があるので嬉しかった。
 クリーンセンターへ行き、茶箱の木枠部分、家電製品、金属製品、段ボール、雑誌類……と次々に分別廃棄していった。今回、一番厄介だったのは長男が捨てた絵の具のカラーで、チューブの外はリサイクルで液体は燃えるゴミにするため、分別しなければならなかったことだ。一つ一つ蓋を外して中身を絞り出す。なかなか蓋が開かないものは、本体の下部をハサミでカットした。開けても中身が固まっているものもあった。両手がインクでカラフルになった(笑)。最後に、可燃ごみとして燃焼炉へ捨てて終了。
 続いて、近くまで来たので、ホームセンターへ行き、ちび助のトイレ用の砂などを購入して帰宅した。
 リハビリで毎週通院していたのでホームセンターへよく行っていたが、もうついでがない。クリーンセンターも地元の人口減少の影響で、近い将来別の自治体と統合し、ここは消滅する。不便になればなるほどクルマが重要になるが、ボケたら免許証も返上だ。先行きは不透明以上に暗いなあ。
 午前中のひと仕事で、少し疲れた。
 午後から執筆の続きに取り掛かったのだが、体力不足のせいか、集中力に欠けた。
 就寝前は、講演スライドの作成の続きをやった。他にもやりたいことがあったのだが、そこまでで本日は閉店。

12月13日(木)「初めての台湾版・・・の風さん」
 いつも通りの時刻だったのだが、目が覚めた時、しまった、寝坊した、と錯覚した。朝食後すぐキャメロンで出発。
 近所の産直場からみかんを送ることにしていたのだ。送る相手は毎年違う(笑)。お世話になった人は多いが、せめてみかんでリカバーを、と送るのだが、みかん代と送料がほぼ半々という効率の悪さ。専用の箱を買い、最も信頼できる宅配会社を頼むからだ。しかし、当地のみかんは確かに美味い。慣れた作業とはいえ、何とか1時間以内で帰宅できた。
 ルーチン雑務をちゃちゃっとこなした。
 宅配が来た。信頼性の低い業者だった。三文判を持って玄関へ行くと、昔のPDAみたいなツールの画面に指でサインしろと言う。右手の不自由な私にとっては、サインの方がストレスなのだが、仕方ない、へろへろ文字で入力した。
 届いたのは、待望久しい拙著『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』の台湾版である。原本よりも大型になっていた。しかし、内容は、少なくともイラストや表などはそっくりそのままで、中の文字まで繁体字に翻訳されていた。中国の簡体字と随分違う。一気に明治時代以前に戻った感じがする。いずれにせよ、本文の翻訳だけでない苦労に頭が下がる。
 翻訳本のタイトルは『變化點管理』で、出版社は方言文化出版事業有限公司、台北市にある会社だ。台湾のWebsiteを検索したら、もう本の画像が出ていた。本当に販売されているのだ(笑)。でも、嬉しい。通算19冊目の単著になる。
 午後一番に地元のケーブルテレビが来た。信号レベルの確認調査を名目にしたキャンペーンである。実は今ごろ光通信になったのだ。手遅れだよ、と言いつつ、玄関に走って来たちび助の歓迎ぶりも尊重して、応対することにした。
 だいたい分かっている話だが、ちゃんと聞いて、労いつつ帰ってもらった。近い将来、テレビの買い替えが発生したら、テレビだけ光に変更するかもしれないな。
 その後、ようやく執筆再開となったが、早くも疲労気味。そこで、ファイト〜一発ドリンクを飲んで頑張ることにした。
 就寝前は、講演スライド作成の続きをしたのだが、今夜で目途をつけたかったので、午前1時半まで頑張ってしまった。

12月14日(金)「たっぷり時間はかけたけど・・・の風さん」
 週末の金曜日。シャバでは花金ということもある。これは1週間まじめに働いた人のご褒美だ。効率の悪い仕事しかできていない私は、週末も使って穴埋めしているが、とても埋めきれない。
 昨夜目途をつけた講演スライドの仕上げに先ず取り組んだ。どうしても男の場合は一点集中とか優先順位とかいった形になってしまう。昨夜の勢いを利用した形だ。お蔭でほぼ完成した。あとは、明日、データをMacBookAirに移して、動作確認をするだけだ。新しい動画を埋め込んだので、それは簡単にはいかないだろう。
 続けて、出かける日曜日と月曜日の移動スケジュール作成と、エクスプレス予約をおこなった。東京より近い大阪だが、スケジュールは綿密に作っておかなければいけない。すべてスケジューラーに入れた。あとは、明日、初めて行く場所の確認をしなければならない。
 さらに続けて、SLAからの依頼エッセイの執筆をおこなった。前回立てた方針にしたがって文章を構成していった。下書きとしては完成した。このままあたためておき、新たなアイデアや発想が出て来なければ、来週中に決着をつける。
 そうこうしている間に、午前と午後にクロネコが来た。留守番はけっこう重要な仕事でもある。
 探し物があってどうしても気になるので、裏の物置を再び探った。最後の確認場所にもなかった。外出から帰宅したワイフに聞いたら、なんと、寝室に私の物が入った段ボールがあるという。夕食後、探しに行ったら、なんと段ボール箱は2箱もあった! これはショックでもあり(片付け対象の荷物が増えたから)、喜びでもあった(探し物が見つかったから)。
 探し物とは、大学生の頃に母とヨーロッパへ行き、ルーブル美術館で買った、彫刻のレプリカである。石膏でできているので、少し欠けたところがあるが、十分に見栄えのするものだ。フランを使ったが、当時の日本円価格で18000円もしたものだ。壊れて捨てたSANYOのCDプレイヤーを置いてあった場所に飾った。
 就寝前は疲れが出て(情けない)、iPhoneと執筆マシンをつなぎ、iTunesを使ってソフトの更新とデータのバックアップをした。かなり時間がかかった。

12月15日(土)「出発前日でもこれだ・・・の風さん」
 焦る気持ちはきわめて強いが、雑務を片付けた方が、執筆に集中できる。
 朝食後、先ずいつものようにルーチン雑務を片付けた。
 観光地に住んでいるので、晴れた土日は外出を控えるのが原則である。しかし、そうも言っておられない事情が私にはあった。
 キャメロンで外出。大型家電量販店へ行き、インクカートリッジを購入。これは年賀状印刷への備えだ。土壇場で外出したくなかったから。続いてドラッグストアに寄ったが、これは通り道だったこともある。最後は、GSで灯油購入。年内にもう一度購入する必要があるが、2回を1回で済ませることはできない。価格が下がっていたので、来週中にあと1回、買いに行こう。
 帰宅して昼食後、執筆の続き。始めたら、また調べることが出てきた。記憶で書いてあった部分を確かめたら、違っていた。こうなると、また延々と調べることになる。これは仕方ないことだ。
 今日は晴れたり曇ったりで、けっこう寒い。
 夕食後は、明日と明後日の準備である。これが意外とてこずった。
 結局、就寝は午前2時。な〜んだ、いつもとほとんど同じパターンの1日だったのか。やれやれ。

12月16日(日)「3年連続講演・・・の風さん」
 出発時刻がそれほど早くなくて助かった。天気予報によると、大阪は今夜雨らしい。
 駅までワイフに送ってもらい、電車で名古屋へ。昼食用のパンを購入して新幹線ホームへ。
 新大阪までの車中で短編を1本読むつもりだったが、終わりまで読めなかった。やや長い短編だったせいか、読む速度が遅くなったのか分からない。下車するまでに昼食は終わり。社内放送が英語でも繰り返される。最近始まったことだろう。国内線の飛行機と同様だが、もっと発音の勉強をさせる必要があるな。
 今回が何回めか分からないくらい、何度も来ている近畿和算ゼミである。場所は大阪産業大学のサテライトキャンパスだ。
 毎年12月は発表がなく、茶話会が中心になるのだが、私が押しかけゲストのように行って、講演をさせてもらい、拙著の販売もやらせてもらう。このパターンは今年で3年連続だ。客寄せ効果があればいいなとも思っている。しかし、3年間、顔ぶれはほとんど同じで、人数の増加はない。私の力不足だろう。
 1時間講演し、10分間の休憩をはさんで、また1時間講演した。長い講演だが、話の筋は通っていて、話題も多い。茶話会のネタにもなる。
 茶話会後、事務局の田村先生と居酒屋へ行った。田村先生は、私が酒豪でグルメだろうと期待されていたが、全く逆の下戸で小食家だったので、ガッカリされた。申し訳なかった。しかし、様々な話ができて、かなり互いの理解は進んだ。また、近畿和算ゼミに貢献したい。
 外へ出るとはたして雨になっていた。雪ではないから、寒いということはない。
 今夜のホテルはきれいで、設備も整っているので、今後、定宿にしようと思った。

12月17日(月)「セミナー講師も勉強・・・の風さん」
 やや寝不足の感じだが、これは普段たっぷり寝ているからだろう。昨夜の雨は上がっていた。
 しっかり朝食を摂って、ホテルをチェックアウト。あらかじめルートは調べてあるので、その通りに、地下鉄を乗り継いで、今日のセミナー会場へ向かった。駅から出て周辺地図をチェックすると、江戸時代に八軒家の船着き場があったところだった。小説の中に書いたことがあるが、現地取材はしていなかった。まだまだ大阪にも取材先は多いな。
 セミナー事務局に挨拶をして、「受講申し込みが少なくて申し訳ない」といった話をしたら、「同じセミナーでも、東京の3分の1くらいですよ」と慰めてくれた。とは言え、今日のは主催者と共同の社会貢献だと思ってやろう。
 少ない受講者だが、様々なビジネス環境の人たちで、私の話がうまくマッチするか、上手に話さなければならない。
 午前中は、やや一方的な解説をした。私の講義のバックグラウンドを理解してもらうのが狙いだ。
 昼食後は、眠くなる心配があるので、3つの演習をしてもらいながら、ツールの理解を促進した。
 午後の休憩後は、私と受講生、また受講生同士というコミュニケーションを中心に講義を進めた。
 以上のようにセミナーの構成はうまく行ったが、最後の振り返りで、もっと受講生からの質問や意見を引き出せばよかったと思った。来年1月のセミナーに反映させよう。
 急いで新大阪駅へ向かい、予定通りに豚まんとシュウマイを購入し、新幹線に乗った。車中でやっと短編を読み終わった。勉強になる部分が多々あった。
 帰宅し、豚まんで遅い夕食を摂り、疲れていたので、今夜は、午前零時前に就寝した。

12月18日(火)「悪戦苦闘・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送ってから朝食を摂り、今日も1日頑張ろう、と思った。天気も好さそうだし。
 外へ出てみると、昨夜の風もおさまっていて、それほど寒くない。先週購入した灯油を屋外タンクに給油した。
 続いて、風呂掃除。相変わらず体はよく動くので、フルコースで洗った。
 ルーチン雑務をこなした後、長女の部屋の片付けに力を入れた。
 昼食は納豆ご飯にして、さっと切り上げ、片付けを続行。気になっていたことだし、今週がタイムリミットなので、一気にゴールを目指した。とうとうゴールにたどり着いた。もう長女の部屋に私の物は残っていない。実に長い道のりだった。
『数学文化』の連載短編の著者校正の依頼が大阪にいたときに来ていたので、指摘された部分を中心に、ゲラを見直して返信した。元の原稿も直した。
 ここで執筆再開と思ったが、イマイチ、頭がシャキッとしない。疲労かな。
 それなら、とSLA(全国学校図書館協議会)からの依頼原稿に着手した。先週、しっかり下書きを書いておいたので、それを読み直し、方針は間違っていないと思えたので、しっかり仕上げた。プロフィール写真データもつけ、締め切りより1週間早く送付した。
 さあ、これなら勢いで執筆できるぞ、と長編の原稿を開いたが、……。う〜ん。やはり長編は大変だ。
 色々なことをやって、気合をためようとしたが、なかなかできない。
 ワイフを駅まで迎えに行き、夕食の前後も執筆マシンに向かった。
 大阪へ行く前からの懸案事項は見事に解決したが、それを原稿に反映する方法がひらめかない。
 明日こそは……。

12月19日(水)「また明日こそは・・・の風さん」
 執筆中の長編の参考資料を昨日、ネット検索中に発見した。先月の現地取材の前に発見していれば、取材時に寄って現物を確認し、必要なら購入してきた。しかし、昨日では遅かった。研究論文の掲載誌の第四号と第五号で、在庫があるかどうか、問い合わせてみた。最初は、その掲載誌を発行していた公的機関に電話したのだが、既に解散してしまったのか、通じなかった。次に、別の機関にメールありがとうございます。してみたら、あとで電話がかかってきた。公的機関からの委託で販売しているそうで、第五号しか残っていないという。とにかく見たいので発注した。
 ルーチン雑務を終え、キャメロンで外出した。GSで今年最後の灯油を購入し、JAで生活費をおろし、JPでレターパックなどを購入して帰宅した。
 卵かけご飯で高速ランチを終え、雑務の続き。来年の上京スケジュールを作成して、エクスプレス予約をし、今年の年賀状送付候補リストを作成して印刷した。
 疲れたので、途中まで観ていた映画「シュガーラッシュ」の続きを鑑賞した。外国映画のストーリー展開は創作の勉強になる。
 晩ご飯の後は、重要なメールをいくつか送ったところで、閉店時間になった。
 明日こそは……。

12月20日(木)「長女の手伝いに出動・・・の風さん」
 来週結婚を控える長女から、会場への荷物の搬入の手伝いを頼まれていた。どうしてこういうことが起きるのか、事情を把握できていないままOKしていて、昼前にワイフとアクアで出かけた。
 ワイフも新婦の母として、ウェルカムボードなどを作っていたので、その搬入があった。それは分かる。
 マンションに着くと、やがて一度には持ちきれない荷物をかかえた長女が出てきた。出席者に配る手作りプレゼントが含まれている。それは分かる。
 名古屋市内の結婚式場へ向かった。ホテルやなんとか会館といった場所ではない。総合結婚式場というのか、専門の施設だ。おりしもクリスマス、西洋風の建物がクリスマスムードで飾り付けられている。ヨーロッパ旅行を思い出す。国内にある異空間とでも呼ぶべきか。平日ということもあり、今日は式がないので、準備だけだ。長女から、当日のサプライズのため、見ないでと言われ、離れた場所で待ちながら、ワイフと雑談していた。良い雰囲気のインテリアを眺めながら、次のリフォームの夢が膨らむ。しかし、課題は予算だ。稼げばいいのだが、創作というビジネスは、金銭的に現実感がないのが欠点だ。
 長女の準備が長引いていたので、ワイフと外へ出て、周辺を散歩しながら時間をつぶした。最後は、アクアの中で待機。
 長い準備が終わって、3人でやっとランチに出かけた。以前行ったことのあるファミレスだ。
 ここからは披露宴のプログラムと、新婦の両親の役割について、長女から説明を聞いた。招待客の構成がやや特殊だったので、それらについて、私は非常に不安を抱いていた。説明を聞き、その特殊事情を十分に配慮した内容になっていることが確認できた。
 とは言え、そこまでして派手な披露宴をおこなう長女の気持ちがイマイチ理解できない。式がすべて終わった後の脱力感が大きいのではないかと、私はまだ心配だ。
 場所を変えて、晩ご飯も軽く食べ、長女をマンションへ送って家路についた。結局、一日仕事になってしまった。当日は、新郎新婦の家族を代表して私がお礼の挨拶をするので、その文案を考える仕事が残っているが、アドリブの要素が大きくなりそうだ。

12月21日(金)「焦り・・・の風さん」
 年末も残り少なくなり、長女の結婚式も近付いて、それでなくても執筆が遅れているのに、気持ちの上で焦りを感じている。
 明日から天気が悪くなる予報なので、今日中にやれる外回りはすべてやっておくつもりだ。
 散歩がてら郵便物を投函に行った。
 午前中はルーチン雑務をこなし、午後、ワイフが戻ってきたので、アクアに乗って外出。ガス欠寸前なので、エコモードにしてGSへ直行。満タン給油完了。これで正月明けまで全く問題ない。そこからUFJへ向かった。そろそろ窓口が閉まる時刻なので混んでいたが、私の用事はATM。現金をおろし、通帳記入してすぐ、次の目的地スーパーへ。定例の買い物をして家路についた。
 さあ、執筆だ。引っかかっている節を今日で抜けなければならない。覚悟を決めて始めた。
 夕方のホットタイム後、約2週間に1回の点滴を受けるために、ちび助を連れて犬猫病院へ。昨年死んだペコにゃんは、クルマが大嫌いだったので、ずっと鳴いていた。だから、往復共有料道路を使った。ちび助はなぜかクルマは平気で鳴かないので、一般道で通っている。費用の点で助かる。
 帰宅し、遅い晩御飯の後、執筆の続き。
 何とか午前零時過ぎに、停滞していた節を抜けた。

12月22日(土)「披露宴の準備・・・の風さん」
 天気予報通りに雨。でも、それほどひどい天気ではない。午前中に、モーニングコートの試着をした。これまで仲人役で2回着た、亡父のお下がりである。亡父は、これを着て、毎年、入学式と卒業式に臨んだ。私の代でこのモーニングコートもお役御免となるだろうが、立派に礼服としての生涯を全うすることになる。
 とは言え(笑)、試着してみたら、ワイシャツが旧式で着づらいのと、白手袋を捨ててしまった(私の責任)ことが分かり、明日、名古屋で買うことになった。やれやれ。
 昼食は卵かけご飯であっという間に終わり。
 来年1月の上京スケジュールに変更が生じたため、エクスプレス予約含めてやり直した。
 印刷した年賀状送付候補リストに、喪中はがきの結果を反映させた(マーカーで印をつけた)。
 兄貴夫婦がホテルに着いたので、ワイフと出かけた。お土産の交換をした後、夕食を摂りながら、明後日の長女の結婚披露宴の下打ち合わせをした。当地では毎年のように仏事があって、そのたびに兄貴夫婦はマイカーでやってきたが、今回は、初めての慶事での来訪となった。
 帰宅し、遅いホットタイムをした後、いよいよ私が任されている両家代表挨拶の作成に取り掛かった。
 モーニングコートの試着の前にネット検索したように、この挨拶文もネット検索し、基本的な考え方を勉強し、いよいよ文案の作成に取り掛かった。
 これがけっこう難物で、やはりオリジナルな部分は工夫しなければならず、かなり手こずった末、午前2時過ぎに文案ができた。明日、完成させる。
 明日は、長男と次女も帰省してくるので、風呂洗いをして入浴を終えた。

12月23日(日)「披露宴前夜・・・の風さん」
 なかなか天気がスカッと回復しない。寝坊してぐずぐずしている間に、ワイフから「墓参りに行こう」と提案。降っていない今がチャンス、とばかりに出動した。
 墓地に着いてみると、曇り空だが、寒くないし、風も吹いていない。濡れた墓石を雑巾でぬぐって、何とか墓参は完了。
 コーヒーを淹れてやや遅いランチをワイフと食べている間に、次女が帰省して来た。茨城県からやって来るので大変だ。
 今度は次女と一緒にコーヒータイム。
 その後、私は書斎に籠り、年賀状のデザインに取り掛かった。毎年似たパターン(干支デザインではなく、一般的な年賀状。ただし、今年の出来事を書けるスペースがあること)なので、今年も効率よくデザインが進んだ。できれば、明日帰宅してから印刷したい。
 ワイフと名古屋へ出発。長男はまだ帰省してこない。
 名古屋に着いてすぐデパートへ行き、男性用フォーマル売り場へ直行し、ワイシャツ(ウィングカラー、ダブルカフス)、手袋、靴下を購入した。ワイシャツが高かったので、けっこうな出費になった。
 長女が選んだホテルにチェックインし、近くのレストランに晩御飯を食べに行った。明日の朝食や披露宴には出てこないメニューを、ということで、和食風レストランに入った。ビールを一杯飲んだ。
 ホテルに戻ってしばらくしたら、猛烈に酔いが回って来た。部屋が暑すぎたみたい。ワイフの実家や妹の家族も合流してくれたのだが、フラフラ状態になった私はベッドから起き上がれなかった。
 長男はだいぶ遅くに帰省してきたらしい。
 ライトアップされたチャペルが見える、ステキな部屋で、酔っ払ってぶっ倒れたぶざまな新婦の父である。明日はどうなることやら。

12月24日(月)「長女の結婚・・・の風さん」
 目覚ましで5時半起床。外はまだ真っ暗。取材時のように、一日の始まりのルーチンをこなしていく。
 30分でだいたい準備が終わりかける頃、ワイフも完全に追い着いていた。
 朝食のレストランは6時半からだったので、善は急げとばかりに行ってみたら、もう先客がいた。チャペルが見える絶好の席に案内してもらい、さあ食うぞ、と力んでみたものの、あまりにも早起きだったので、胃袋が目覚めていない(笑)。それに、今朝はルーチンの体操を何もしていなかった。それでも、普段と違う旅行時だけの高カロリーメニューを選んで食べたが、空腹にまさるごちそうはないんだね、やはり。
 とにかく雲一つない青空が広がっていて、雨の心配はゼロ。あとは風だ。立木の揺れ具合から、風はそこそこありそうだ。
 8時指定で呼んでおいてもらったタクシーで式場へ向かった。運転手との楽しい語らいが朝食以上のごちそうだった。運転手いわく「経験から、一部上場企業の偉い人の客は、だいたい腰が低い」納得。
 式場には新郎のお母さんとほぼ同時に着いた。今日の私の心がけは、体の弱いお母さんへの気配りだ。
 モーニングコートへの着替えは、一昨日の試着で慣れていたので、早かった。
 それからの待ち時間が長かった。仕方なく、裏方の動きから多くのことを学び、長女の会場の飾り付けの努力に感動し、何でもないことで目がうるうるし始めた。警戒警報発令である(笑)。
 9時半から公式スケジュールが始まった。なるべく楽しもうと思っていたし、私の性格からできることは何でも自分でやろうと思っていた。しかし、チャペルでのリハーサルで、ウェディングドレス姿の長女が私たちを見て泣き出したので、こちらの涙腺も切れてしまった。新郎まで涙を拭いている。喜んでいる娘夫婦の姿を見て、嬉しくない親などいるはずがない。
 それからはとにかく祝福に心掛けていたのだが、色々な仕掛けが、二人が自分たちの幸福を、お世話になった多くの方たちへの感謝を形作っているのだということが分かり、もうそれだけで感動してしまう。人に感謝できる子どもに育てることができたから、それが嬉しいのである。
 私の両家代表挨拶は、しっかり腹に力を入れ、心をこめて語ったが、少なくとも新郎は感激してくれたので、満足である。
 茨城へ帰る次女と一緒に名駅まで行き、短時間のコーヒータイムの後、そこで別れ、私はワイフ、長男と一緒に帰宅した。
 小休憩後、私は予定通り、年賀状作成に取り掛かった。
 なぜこんなに元気かというと、薬のせいだ。先ず、朝一番でファイト〜一発ドリンクを飲んだ。ホテルを出発する前に、頚椎症を起こさないようにロキソニンを飲んだ。公式プログラムが終了して、頭痛薬を飲んだ。帰宅する頃には花粉症がひどくなっていたので、抗ヒスタミン錠を飲み、小休憩後、またファイト〜一発ドリンクを飲んでいた。
 昨日考えたデザインをあらためて見直しても問題はなさそうだった。送付候補リストも再チェックし、再度絞り込んで、最初の送付枚数を180枚に決定したので、先ず、裏の印刷をおこなった。試し刷りから始め、50枚ずつ連続印刷をかけ、一枚のミスもなく完了した。
 晩ご飯の後、宛名印刷をおこなった。裏は共通でも、作家関係者へは筆名で、それ以外は家族連名で出すのである。
 そこまで終わったところで、薬やドリンクの効果も切れてきたので、風呂に入って寝ることにした。
 大変な一日だったが、タフな自分に驚いた。子どもがおとなになった今、親の役目は先ず健康だろう。 

12月25日(火)「やっと執筆再開・・・の風さん」
 8時起床。年内最後のゴミ出しに行ってきた。
 朝食後、キャメロンで外出。
 JPで送金処理と現金書留用封筒を購入。年賀状を出す時、県内と県外に分けました、と言ったら「ありがとうございます。機械で処理しますから、もうそれは不要になりましたよ」と言われた。きっと何年も前からそうなっていたのだろう。時代に乗り遅れ(笑)。UFJのATMでキャッシュをおろして帰宅。 
 玄関の門灯の電球を変更した。暗くなると自動点灯するタイプ。我が家のライフスタイルにはこれがベストマッチなので、今度球が切れたら交換しようと思っていたが、なかなか切れなかった。年末なので、思い切って交換した。元の電球は別の場所へ。
 これで、予定していた年内の主な仕事は、すべて完了させることができた。
 昼食は次女が残して行ったエクレア(笑)。
 途中まで観ていた映画「桜田門外ノ変」(リアリティの勉強)を観終えてから執筆を再開した。
 途中で、喪中葉書で知った親戚の不幸に対し、お悔やみの手紙を書いた。文章を考えることより、手書きで書くことだけが私には負担だった。香典を添えて、ワイフが投函に行ってくれた。
 執筆は新しい節なので、なかなか方針が決まらない。

12月26日(水)「執筆調査に専念・・・の風さん」
 7時起床。年内最後のミックスペーパーゴミ出しだ。通常のゴミ出しと違って、収集車が回って来るのが超早いので、昨日より1時間早く起きた。無事出せた。昨日に続いて、ゴミ出しも終了し、予定していた年内の仕事の最後が終了した。残るは、と言っても終了させることは困難だが、執筆に集中するだけだ。
 昨日に続いて、新しい節の構成を考えるため、ひたすら調査(時代考証ではなく、明らかになっている史実の探索)を続けた。
 天気は薄曇りだが、今日も風はほとんどなく、したがって気温もそれほど低くないので、たとえ屋内作業とは言っても、行動しやすい。体を動かしながら執筆するタイプなので、助かる。体を動かす意味は、五感はもとより第六感含めて、刺激を与えやすくして、アイデアを出そうとするからだ。
 今日は午後から夕方にかけて宅配が2件あった。どちらも友人からで、家族がそろう年末年始にはありがたい食品だった。友人らには何も貢献できていないが、来年へ向けて、激励されたということで、覚悟を新たにした。
 晩ご飯まで執筆の調査を続けたが、そこまでで疲れてしまい、今夜は本を読んで早めに就寝することにした。今年も読了のペースは年末へ向けて著しくダウンしたままだ。

12月27日(木)「執筆調査の合間に・・・の風さん」
 今週やっと寝坊。朝食にトーストを食べようとしたら、長男がもらった結婚式の引き出物のパンを食べることになった。ケーキ並の手の込んだ(小豆と栗入りの)こだわりパンだった。
 書斎の窓から見える新築の家で、随分と間をおいて外構工事が始まった。重機も入っているが、この先、どんな展開になるのか、予想がつかない。
 執筆の調査項目が進展し、佳境に入りつつあった頃、ワイフが侵入してきて、年末恒例の年賀状作成の手伝いになった。しかし、今年は、構想だけは練っておいてもらったので、スタートは早かった。順調にデザインが決まり、先ず、裏面だけ印刷し、続いて、宛名、差出人と段階的に作業が進んだ。予想外に早く仕事が終わった。
 執筆のための調査もどんどん進め、書斎では限界に近付いた。最悪、来年上京した時にNDL(国立国会図書館)で調べることにして、知り合いの和算研究家へ問い合わせメールを送った。
 夕食後、先生から返信があり、欲しかった情報が手に入った。あとは、想像力で埋めることになりそうだ。
 先生ご自身も課題をお持ちだったようなので、私からもほんの少し知っていることをお返しした。

12月28日(金)「またひたすら調査・・・の風さん」
 今朝も寝坊。早寝早起きできない体質だな、ボケ老人になっても(笑)。
 朝から雪が降っている。積もるほどではないが。ブランチをしっかり食べた。
 ルーチン雑務はもうほとんどしていない。すぐに執筆態勢というか、毎日連続的に調査。和算研究者からのメールがあり、重要なコメントをいただいたので、メッセンジャーで図書館のプロに相談を仕掛けた。こういった仕掛けをいくつもしておいて、自分の調査を継続していく。
 書きたいネタを決めたので、早速執筆を開始したが、すぐにまた新たな疑問が生じてきた。日常を描くだけでも、時代考証は結局、詳細な史実の調査になってしまう。
 いつも昼頃入浴する長男が出た後で、さっと風呂掃除。今夜、次女が帰って来る。家族が増えると、風呂掃除の頻度は著しく増える。今日はランチはなし。
 資料調査をしていると、次々に気になる史実が出てくる。それらを「あとで」と放置すると、その「あとで」が記憶喪失などでできなくなる恐れがあるので、即やっておく。書斎の中は歴史資料の宝庫だ。
 夜は長男が外出し、帰って来た次女を含めて3人できりたんぽ鍋を楽しんだ。冷凍いぶりがっこも解凍したので、次女が喜んで食べた。次女もワイフもビールを飲みながらご機嫌だったが、私は一滴も飲めない。
 夕食後も、まだ調査が続いた。寒い一日だった。

12月29日(土)「基本の基本・・・の風さん」
 今朝も寝坊。冬型の気圧配置が続いていて、やや寒い。
 昨日執筆中に発生した疑問を、その後、調べ続けていたのだが、今日、午前中までしつこく調べて、結局、明らかにならなかった。作品の中に想像で盛り込むことはできるが、少し危険な感じがする。踏み込まずに入れておくか(^_^)。
 夜勤明けの次女は、午後まで寝ていた。長男はそれとは関係なく寝てばかりらしい。二人とも、私に似て、よく寝る(笑)。
 新しい節のネタはほぼ揃っているのだが、ストーリーが浮かばない。なぜか分からない。長編の中の一つの節だが、読者へのサービスはいくらしてもし過ぎることはない。中でもストーリーは重要だ。平板な展開では、面白いネタも生きない。
 とりあえず書き始めてみたが、筆は進まない(キーボードをたたけない)。そのうち花粉症まで発症してきた。長女が置いて行ったアレグラを服用してみた。副作用のない弱い薬なので、効かないかも。
 その後も、あれこれ調べながら、書き出しのきっかけを探っていたが、とうとう見つからないまま、就寝時刻が迫って来た。入浴も終えて、最後の最後で、突然、基本的なことに気が付いた。いや、思い出したというべきだろう。寝室へ入る前に、書斎へ行き、そのメモを書いて机の上に置いた。これで、明日から書ける。やれやれ。

12月30日(日)「半徹夜でも終わらず・・・の風さん」
 今朝も寝坊。ブランチをしっかり食べた。
 やや風はあったが、快晴なので、屋外タンクに今年最後の灯油を給油した。これで家族が増えている間、不安なく温風ヒーターを使える。備えあれば憂いなし。
 雑務を軽く処理した後、風呂掃除をした。
 それから、ワイフの提案で、年末の墓参。1週間しか経過していなかったので、それほど汚れてはいなかった。しかし、このシーズン、水の冷たさと墓石の冷たさが手に痛い。我が家の墓参が終わり、周囲を見回すと、ほとんどのお墓の供花が新しくなっている。田舎に住んでいる幸せだろう。ここだけ時間の流れがゆるやかだ。
 帰宅し、少し早かったが、コーヒータイムにした。今日は次女が出かけて行った。
 それから本腰を入れて執筆。昨夜で方針は決まっている。今度こそ書けるはずだ。
 晩ご飯をはさんで集中したが、文章表現に悩んで、なかなか進まない。基本的に美文調は避けるので、かえって苦しむ。一番書きやすい文章は論文だったりして(笑)。
 午前零時を過ぎたころ、あまりにも進んでいないので、どこまで行けるか突っ走ってみることにした。
 結局、この節は終わらなかったが、午前4時で、ストップすることにした。明日の午後、長女夫妻が来るので、昼前に起きて準備完了になるためには、就寝は午前5時が限界だと思ったからだ。

12月31日(月)「除夜の鐘を聴きながら・・・の風さん」
 目が覚めて、時計を見たら午前10時50分。予定通りだな、と思いつつ、何か会社の仕事をしていたような夢を見ていたことを思い出した。34年間の習性は脳に刷り込まれているのか。退社してもう5年なんだけどなあ。
 ブランチを食べ、1階の片付けをし、風呂掃除をし、ホットタイムをし、執筆を再開して間もなく、長女夫妻がやって来た。
 賑やかな大晦日になった。お土産のお菓子を食べてすぐ、すきやきパーティーが始まった。カセットボンベの予備がないというので、私が急きょコンビニまで走ったが、最後の1本を使い切ったところで、パーティーは終わったので、ギリギリセーフだった。たらふく食べたので、体を動かすのが億劫になった。
 長女のダンナは、明日早朝から仕事だと言うので、予定通り、除夜の鐘を聞く前に一人で帰った。と言うことは、長女は、独身時代と同じように、帰省して、実家で静養が始まったというわけだ(笑)。結婚式前から激務だったのだろう。リビングのソファにもたれて居眠りを始めた。お疲れさん。
 テレビのチャンネルをNHKに変え、行く年来る年を見ながら年を越した。

【恒例の今年の総括】

●出版
 『變化點管理』方言文化出版事業有限公司(2018年10月)

●短編小説
 『古四王神社の母娘』(『数学文化』029)
 『ハナフクベの女』(『数学文化』030)

●読物、エッセイ、随想ほか
 『児童書でよみがえった絶版』「こどもの本」2018年1月号
 『天才数学者はまじめなサラリーマンだった?』岡崎市教育委員会編「読書感想文・読書感想画 優秀作品集」2018年2月
 『算額見学で同級生を驚かす』「秋田高校同窓会だより」2018年5月
 『技術者は小説家向き?』「東北大学機械系同窓会誌」第22号
 『江戸の数学文化』日本能率協会「JMAマネジメント」2018年7月号
 小栗まつりの講演録:小栗上野介顕彰会『たつなみ』第43号(平成30年8月)
 『数学は江戸の人たちの楽しみ』両口屋是清「いとをかし」2018年11月

●講演(通算回数は後日見直し予定)
150 一隅会で講演(2018年3月15日)
『江戸時代の数学文化 〜庶民レベルから関孝和の偉大さまで〜』
151 三蔵塾で講演(2018年3月17日)
『児童書へのこだわり 『ひらけ蘭学のとびら』(岩崎書店) 小塚原の腑分けと『ターヘルアナトミア』翻訳現場をいかに再現するか』
152  小栗まつりで公開講演(2018年5月27日)
『歴史作家・技術者から見た幕末明治維新 〜小野友五郎と小栗忠順の生涯に光を当てて』
153 藤枝東高校で講演(2018年11月2日)
『江戸の数学文化「和算」の魅力』
154 名商大MBAキャリアデザイン講義の中でミニ講演(2018年11月21日)原嶋茂
『デンソーの歴史と新規事業』使用するケース:戦う相手はデンソー デンソー2004
155  原発で講演(2018年11月28日)原嶋茂
『自動車(部品)業界の品質管理手法とその考え方 〜変化点管理に焦点を当てて〜』
156 第287回近畿和算ゼミナールで講演(2018年12月16日)
『20万km超への挑戦 ―また今年をふりかえって―』

●半日以上のセミナー講師
 F社で講義「品質保証基本」(2018年5月)
 日刊工業新聞社主催「工程管理」(2018年5月、11月、12月)
 MBAキャリアデザイン(2018年11月)

2019年1月はここ

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